第2章
莉央視点
カシャ、カシャ、カシャ。
カメラのシャッター音が、刃物のように鋭く空気を切り裂く。何年も悪夢の中で聞いてきた、あの耳障りな音。いつも悲劇の後に付きまとい、いつも痛みを世界に晒すための音。
目を開けると、午後の陽射しが容赦なく降り注ぐ。
ここは天国か?地獄か?
ええ?うそ!私、まだ生きてる……?
いや、待って、ここは……
まさか。
この場所を知っている。この瞬間を、正確に知っている。
周囲では、歪んだ映画のワンシーンのように、混沌が広がっている。高価なスーツを着た男たちが、木の葉のように震えながら泣きじゃくる女の人を押さえている。報道陣がフラッシュを焚きながら彼らに群がり、誰もが今夜のニュースで流す『感動の再会』の画を撮ろうと必死だ。
この光景。覚えている。私は、十五歳に戻っている。警視庁があのクソ野郎を捕まえた日。すべてが、良い方向へ向かうはずだった日。
私、本当に生まれ変わったんだ。これは、現実なんだ。
自分の手を見下ろす。記憶にある通りの手だ。細くて、青白くて、山での暮らしでついた無数の小さな傷跡に覆われている。十五歳。これは夢なんかじゃない。現実だ。
マイクを持った女の人が、人混みから離れて立っている私に気づき、カメラマンを従えて足早に近づいてきた。
「ねえ、お嬢ちゃん、山崎薔子さんとどういうご関係? どうして一人でこんなところに立っているの?」
マイクが顔に突きつけられ、カメラの赤いランプが点滅する。喉が砂のように乾く。前世の記憶が洪水のように押し寄せてくるのに、今はどんな言葉も見つからない。
「山崎薔子によく似ているわね。もしかして、娘さん?」
娘? この物語がどんな結末を迎えるか、この人が知る由もない。
その時、聞こえた。嗚咽がほんの一瞬止み、視線を感じる。ゆっくりと振り返ると、彼女がいた。
お母さん。
山崎薔子。私の母が、十五年前のあの日と寸分違わぬ姿でそこにいた。壊され、無理やり元に戻そうとされた美しい人形のように、心も砕け、虚ろな目をしている。人混みの向こうから私を見ている。でも、その視線は私を通り抜けて、どこか遠くを見ているようだ。
彼女を支える男たちが、その視線を追う。背の高い方――山崎の叔父さんが、すぐに目を細めた。今なら、あの眼差しの意味がわかる。『近づくな。事を荒立てるな。彼女に思い出させるな』。
そして、私と同い年の少年。腹違いの兄、山崎直人。いつか友達になれるかもしれないと思っていた相手。彼の表情は困惑から、もっと冷たいものへと変わる。嫌悪、だろうか。それとも、私が存在することへの、ただの失望か。
「お嬢ちゃん、どうして答えてくれないの?」
レポーターの声に、はっと我に返る。でも、波のように押し寄せる記憶のことしか考えられない。
山のことを思い出す。あの忌まわしい日々の、すべてを。
あの化け物が酔って帰ってきては、誰かを傷つけようと獲物を探していた夜。ベルトが空を切る音。母がどうやって私たちの間に割って入り、私が殴られずに済むように、一番酷い暴力をその身に受けていたか。
「私を殴って。莉央には手を上げないで」血の滲む唇で、母はそう囁いた。「莉央はまだ小さいの。何もわからないのよ」
私はまだ小さくて、母がすべてから守ってくれると信じて、その背中に隠れていた。そして、しばらくの間、母は本当にそうしてくれた。あの地獄の中でも、彼女は私の母だった。大きなお家と、可愛いドレスと、ピアノのレッスンの約束を、まだ守ろうとしてくれていた。
でも、私が大きくなるにつれて、状況は変わっていった。母はどんどん口数が少なくなり、脆くなっていった。殴られるたびに、魂のかけらを一つずつ奪われていくように。そして私は、唯一私を愛してくれた人を守りたいという思いに、もっと怒り、もっと必死になっていった。
「ママを放っておいて!」私はそう叫び、体重九四十キロの体で、彼の拳と母の顔の間に立ちはだかった。「誰かを殴りたいなら、私を殴りなさいよ!」
私たちはあの悪夢の中で、互いを守り合った。私たちには、お互いしかいなかったのだ。
けれど、すべてを壊したあの日が、やってきた。
今でも、はっきりと覚えている。あの男が酒を飲みに町へ下りた隙を見つけた母。真夜中に、震える手で私を揺り起こしたこと。
「莉央、行くわよ。今夜。二度とここには戻らない」
私たちは闇の中、心臓を狂ったように高鳴らせながら山道を走った。きっとうまくいく。自由になれるんだ。
私が、あの浮き石を踏むまでは。
足首に炎のような痛みが走り、私は派手に転んだ。私を置いて行ってと、言えたはずなのに。言うべきだった。そうすれば母は走り続け、家族のもとへ、安全な場所へ帰ることができた。
でも、母は戻ってきた。
「大丈夫よ、莉央。ママはあなたを置いていったりしない」
母は私のために戻ってきた。そして、その時、私たちは彼の声を聞いたのだ。
「あら~お嬢さん方、どちらへ?」
あの夜は、私たちの人生で最悪の夜だった。目が覚めた時、私たちは二人とも、痣よりもっと深いところで壊されていた。でも、一番最悪だったのは、それが母の心に与えた影響だった。
あの日から、母は別人になってしまった。空っぽだった。誰かが彼女の中に手を突っ込んで、すべての明かりを消してしまったみたいに。何時間も壁を見つめ、私が話しかけてもほとんど反応しない。時々、私をある表情で見ていることがあった。当時は理解できなかったけれど、今ならわかる。
罪悪感。彼女は、私のために戻ってきた自分を責めていたのだ。もしかしたら、転んだ私を責めていたのかもしれない。
もし私がいなければ、母は逃げられた。自由になれたはずだった。
その記憶が激しく胸を打ち、私は突然泣き出した。カメラの前で、報道陣の前で、これから私を家に連れ帰るはずの家族の前で。
「お嬢ちゃん、どうして泣いているの?」
慌てて顔を拭うが、涙は止まらない。もう一度、叔父の腕の中で震え続ける母に目を向ける。彼女はあまりにも脆く、傷ついている。そして、彼女にとって私が何であるかを、私は正確に知っている。
私は引き金だ。すべてがうまくいかなかったことを思い出させる存在。彼女は私を見るたびに、あの逃げ出そうとした夜を思い出すだろう。私たちが生き抜いた地獄を思い出すだろう。私のために戻ってきて、そのせいで二人とも捕まったのだと、思い出すだろう。
数分後、私たちは二人とも東都へ連れて行かれる。これから二年間、母は震えずに私の顔を見ることすらできなくなる。彼女の家族は私をどこか一人きりの場所に押し込み、彼らの完璧な世界の片隅で、一人で食事をし、一人で暮らすことになる。そして最終的に、私は寒いクリスマスの夜に一人で死ぬ。母が立ち直れなかったのは自分のせいだと、死ぬまで思い続けて。
しかし!今回、私がそれを許さなければ、話は別だ。
私が知る唯一の方法で、彼女を守るなら。
震える息を吸い込み、レポーターをまっすぐ見据える。声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「すみません、人違いだと思います。私はただ……ただの通りすがりです」
レポーターは目を瞬かせた。
「通りすがり? でも、あなたは.......」
人混みの向こうで、山崎叔父さんが凍りつくのが見えた。きっと、私をカメラの前から引き離しに来る準備をしていたのだろう。妹を救出する際についてきた厄介なお荷物だと、静かに説明するつもりだったのかもしれない。だが今は、口をぽかんと開けてそこに突っ立っている。私が言ったことが信じられない、という顔だ。
山崎直人の顔も変わる。嫌悪が困惑に、もしかしたら少しの敬意にすら変わったかもしれない。彼らが『ただ乗り』と見ていただろうものを、私が自ら手放すとは思ってもみなかったのだろう。
母の方を振り返らない。できない。彼女の顔を見てしまったら、決心が揺らぐかもしれない。もう二度と、わがままは言えない。今回は、違う。
私はレポーターに、カメラに、そして私のものになるはずだった家族に背を向けた。あの化け物が住んでいた、私の子供時代が日に日に少しずつ死んでいった、あの壊れかけの小屋へと歩き始めた。
ここで朽ち果てよう。母には私の存在を忘れさせよう。彼女を本当の家族のもとへ、本当の世界へ、本当の人生へと帰してあげよう。彼女には、人生で最悪の年月を思い出させるだけの娘など必要ない。
今度こそ、私が消えることで、彼女を守るんだ。
